一昨日、昨日と塾で提出を義務付けているワークのテスト範囲の箇所のチェックを行った。
毎回、数名の生徒が忘れてくる。彼らの言い訳が実に多種多様で面白い。
「見通しが甘かったです」「分からない問題があって…」「時間が無くて」
時間は腐る程ある。現に、ある中1男子は提出期限の2日前に見せに来ている。1月9日の日報で紹介した生徒だ。分からない問題があったら質問しに来ればいいだけの話。見通しが甘いなら、事前に塾の自習室などを能動的に活用して終わらせることも可能だったはずだ。
彼らに共通していることはたった一つ。「自己否定ができない」という点だ。
これはどういうことか?
私は、高校を中退した後、一つ目の会社を退社した後、二つ目の会社を退社した後、計3回人生でニートを経験している。ニートになりたての頃は、反省の「は」の字もしない。そして、絶対に周りを認めることをしない。いや、認めたくないのだ。自分がいるぬるま湯や馴れ合いの関係を壊したくないがために、自己正当化をする。あげくの果てには「こんな自分も格好いい」とか思ったりするのである。自分がいかにダメな人間かということが分かっていながら。それが何か月も続いていく。
先に述べた生徒もまったく同じ状況だ。「塾で勉強するのはダサイ」とかいう取るに足らないような下らない見栄を持っている者もいる。
ただ、ごく一部ではあるが、そんな状況から脱出できる人間もいる。
それが、「自己否定」することができた人間たちだ。
「究極のマイナス思考」や「自己否定」ができた時、それは大きな飛躍の材料になる。
このままではもうおしまいなんじゃないか?
33歳にもなって無職なんて人として終わってるな…
今、自分がいる場所がいかにどん底か、「真の反省」をした時に、周りの目など気にはしていられない。「素直さ」が芽生える。人に教えを請い、何とか今の状況から脱却しようと試みる。それは、「野良犬」にすら近い感覚と言えるかも知れない。
実際、当塾の月謝は、私が前職時代に大変お世話になった保護者の方々と相談して決めた。
言いにくい意見もどんどん言っていただいた。人に聞くことなど恥ずかしくもなんともない。授業の内容にしてもそう、「俺は前の塾でナンバー1だったんだ」という変なプライドもかなぐり捨て、参考にできる点があれば、他塾の若い講師からもどんどん意見を吸収するようにしている。
塾に来て勉強することは恥ずかしくもなんともない。自宅で出来ていないから素直に塾に来て、質問攻めにすればいいのだ。最高ランクの講師がいつでも対応するのだから。
中3生にも、今日の授業で同じ話をした。
現状を脱却したければまずは「自己否定してみせろ!!」と。